斯波家兼 [武士(平安・鎌倉・室町)]

お気に入り度 ★★★★ 2008年5月7日撮影
所在地:宮城県加美郡加美町・中新田城跡内
奥州探題・大崎氏の始祖、斯波家兼(しば・いえかね)の像です。
羽後街道を通過中に発見しました。
凛々しい像でした。
~以下碑文より~
斯波家兼公
大崎氏の祖である斯波家兼は1354年(文和3)若狭国守護から奥州管領に任じられ陸奥国に下向した 当時の奥州は吉良畠山石塔石橋らの諸氏が対立した無政府状態にありこれを足利一門で室町幕府の要職を歴任ししかも幕府の指導者足利尊氏の側近ともいえる家兼の手で解消しようとしたのである
彼は子息の直持とともにその勢力拡大に奔走し孫詮持の頃には河内七郡と呼ばれていた大崎地方を支配するに至った 同じ頃奥州の最高の権威である奥州探題に就任し歴代の子孫はこの要職を世襲して公方(将軍のこと)と尊敬されるようになった
室町時代の中頃には京都でも大崎殿と呼ばれている支配領域にちなんだ名乗りだったのであろう
大崎氏は12代義隆の頃に小田原不参を豊臣秀吉に咎められて滅亡したがその名残は今日も各地に見られる
家兼は赴任後2年足らず49才で死去 法名も圓承長国寺殿と号した
平成元年11月
中新田町長 須貝信義
撰文 伊藤 信
時代考証 藤本正行
撰文揮毫 鈴木久男
像制作 翁 観二
太田道灌(1) [武士(平安・鎌倉・室町)]
お気に入り度 ★★★★ 2007年7月29日撮影
所在地:埼玉県川越市元町・川越市役所(川越城大手門前)
川越市役所にある太田道灌(おおた・どうかん)像です。
小ぶりながらも衣装に細かい装飾が施されており美しいですね。
道灌の像は関東に何体かあるのは知っているのですが、これが初めての撮影となりました。
(以下碑文より)
太田道灌公像
川越は、古代から、この地方の文化の中心であった。長禄元年(西暦1457年)に太田氏が川越城を築き、更に江戸城を築いて川越の文化を江戸に移したので、川越は江戸の母と呼ばれた。明治以降も引続き埼玉県第一の都府として、大正11年他に魁けて市制を施行した。ここに市制50周年を迎えるに当り市庁舎を新築し、川越市開府の始祖とも仰ぐ太田道灌公の銅像を建て、古き歴史を偲びつつ新しき未来を開こうとするものである。
昭和47年9月吉日
川越市長 加藤瀧二 出
畠山重忠(2) [武士(平安・鎌倉・室町)]

お気に入り度 ★★★★ 2003年8月24日撮影
所在地:埼玉県比企郡嵐山町菅谷字城「菅谷館城跡」三の郭
重忠はこの地から、二俣川の戦いに出発したのでしょうか。
城跡内の「埼玉県立歴史資料館」はオススメです!
入館料50円で重忠ロボットに語りかけられちゃいます!
※2006年4月より「嵐山史跡の博物館」に改称、入館料は100円となっています。
(ちなみにこれ、銅像じゃなくコンクリート像ですが・・・)






